2011年8月26日金曜日

英語学習にフィリピンなど

この記事を読んで、アリかなーと。
フィリピン格安語学留学で海外ノマドワークを実現

学校はここ
CNE1

☆ 有利な点 ★
・安い(2週間の授業料などで10万円程度)
・近い(台湾のすぐ先、時差わずか一時間)
朝8時から始まる計4時間の授業はマンツーマン
・事務手続きが日本語で完結


日本円が高いうちに、こういうのもアリかもと思いましたね。



2011年8月24日水曜日

長万部事変・2011

今、「長万部」でググルとTopがコレ (2011/8/24 現在)
「まんべくん」のツイッター発言関係について

この事件、発端はこれ。(8/14)
まんべくん『どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまり』

8月14日から10日経ち、Twitterの中ではほぼ忘れられた存在になりました。この流行り廃りの激流は本当に速いですね。

”長万部” がネット上で話題になったのは、まんべくんのゆるキャラらしからぬ“過激” な物言いの賜物で、良いアピールになっていたのにねえ、、ああ惜しいことしたな。

”まんべくん”アカウントは、たまに公式RTで流れてくるのを読んでいる程度でしたけど、元々長万部町に対して何のイメージも持っていない一般人にイメージ悪化を諭されても「知ったこっちゃねえ!」というスタンスを貫くのは面白いアプローチだなあと(過激だったけど)思っていました。

行けばわかるんですが、長万部は本当に何も無い、静かな、早い話が“シケた”街なんです。
街に人はいない、道路に車は走っていない、街に“音”が全然ない。
ちょっと山の方に散歩いくというと、熊に会わないようにカウベル持ってきな、とか言われる街です。

僕はそんな長万部の静けさが、とっても好きだったですけど。


ただ、ちょっと『地雷』を踏んで終わってしまった。
こういう地雷は、ネット上にはまだまだ一杯埋まっているようです。

2011年8月22日月曜日

Veni, vidi, vici.

■カエサルの言葉。
Veni, vidi, vici.
ラテン語でヴェニ、ヴィディ,ヴィッチ」と読むらしいです。
日本語に訳すと、「来た、見た、勝った」で良い感じで韻を踏んでいます。
英語だと、veni = I came, vidi = I saw, vici = I won. ちょっと、強引な感じで "I" で揃えています。1文字でないのが少し辛い。


寛容(Clementia

「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何にもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。」
<ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後[上] >

スワンレイク・オディール

Moon5巻  "求められる”人生!

☆☆★*・*・*・*・*・*・*★☆☆

人生は一度

それも、

それほど 長くはない。

何もできないまま、
とつぜん打ち切られるかもしれない。

だから、
与えられた時間を、

生きたいように生きるんだ。

媚びない。

へつらわない。

この世界から、

"必要とされて"生きる。

☆☆★*・*・*・*・*・*・*★☆☆

2011年6月10日金曜日

春樹の震災後のスピーチ

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上/下)


村上春樹が原発について、地震後初めて語っています。

核心部分をピックアップすると、、、

『我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、
原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだった。』

『壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。
しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。』

この辺だと思いますが、取り出した場合ちょっと陳腐な言葉に響いてしまうので
全文読むことをオススメです。

*・*・*
エルサレムの時の『卵と壁』のスピーチでもそうでしたが、スピーチでは一時的な
感動を与えることはできても、後世に残る影響を及ぼすことは難しい。
そこで"物語"という形が必要になってくる、とのことです。

『言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。』

今回の地震の影響を受けて、どのような形で物語るのか。
次回の長編小説に期待です。
(去年出たばかりのなので、3年後くらいか)

2011年1月31日月曜日

5年経って考える

5年前ってどんなだったかな。

iPhone やスマートフォンはなかった。
iPad なんて未来世界の空想でしかなかった。

iPod はあったかもしれないけど、まだ欲しいとは思わなかった。
僕は、MDプレイヤー使ってたな。
PCはDell。今も現役、長持ちだがそろそろ引退の頃。
世間はライブドア事件で盛り上がっていたし、小泉政権は相変わらず
支持率が高かった。

Googleはあったけど Chrome やGmailやiGoogle はなかった。
BBSは勢いが衰え、真鍋かをりと古田が対決するくらいのblog の全盛期だった。
写真撮影に凝ってたが、オンラインアルバムは、まだ使っていなかった。
Twitter も mixi も Evernote も存在も知らなかった。

千葉ロッテのローテーションは、
清水直・渡辺俊・小林宏・セラフィニ・小野・久保
・・・・うむ、まだ2人残っていると言うべきか。

フラットな液晶TVは値段が高くて、とても手が出なかった。
ブラウン管で見れば十分だったし、CS放送も観てなかった。
地上波・アナログ放送のみ。ツール・ド・フランスも観ていなかった。
だいたい、ロードバイクだって持っていなかった。

*・*・*

今、日常的に当たり前に、周りに存在する何やかやは
5年前にはまるでなかったものが多いことに気付く。

これからの『5年後の世界』も、想像するのは難しいだろう。
Who Knows? 

今日、今の会社に入社してちょうど5年だ。
振り返ると、それなりに良い5年間だったと言える。

でも、新しい選択肢が必要な時期だ。

2010年4月18日日曜日

1Q84 BOOK3 読了

1Q84 BOOK3 発売日に購入し、土日で読み終わる。

■軽く感想など

1.牛河という男
"牛河"あれだけいやみなキャラクターとして設定したキャラを
主人公の一人として追加してしまうのは流石だ。

BOOK1/2 では嫌悪しか覚えなかったキャラでも、見方を変えることにより主人公として自然に受け入れることができるのが不思議というか、技術なんだろうなあ。。
卵と壁の話によるところの【壁】の側に存在していた牛河が、Book3では【卵】の側に移行して書かれている。

そんな感想もある。確かにそうかもしれない。

壁の側では"不気味な(醜い)"男だったのが、卵の側から描くことで"人間らしさ"を含んで描かれている。
そこに魅力というほどでもないが「嫌悪」からは遠い感情が生れる。
『オレはソーニャに出会えなかったラスコーリニコフだ』
ドストエフスキー好きなんですねw


2.タマル
タマルさんは相変わらずの大活躍だ。
彼を主人公に描いたスピンオフ小説が是非読んでみたい。
彼も孤独と共に、裏の社会で生きてきた。

その仕事は"プロ"だし、その慎重さには学ぶべきことが多い。
「オレは"偶然"という言葉が好きではない」