2012年2月13日月曜日

何を言うか、誰が言うか。〜北川景子が言ったとか〜


「海ばかり見てると人に会いたくなるし、人ばかり見てると海を見たくなる。 変なもんさ。」
– 帰国 - KEIKO’S BLOG - 北川 景子 オフィシャルブログ (via

Tumbler見てたら突然このような文に出会いました。
む、北川景子のブログ・・・ちょと彼女の声をイメージしてセリフを再生してみよう。

『海ばかり見ていると人に会いたくなるし、人ばかり見ていると海を見たくなる。変なもんさ』
最後の「変なもんさ」が実にキマってますね。

北川景子、随分オトコマエで詩人みたいな文をブログに載せているんだなあ、もしかしてブログではこんな口ぶりで淡々と日常を語っているのかなあ、ワクワク。。。と、『惚れてまうやろ!』とも言える感情を抱きつつ、、本家ブログのリンクをクリックしました。

そこには20代の女性の、芯のある文章が真面目に綴られていて、ちょっと予想外でした。件のセリフは、何のことはない最近読んだ本からの引用でした。
しかも、自分自身も何度も読み返したことがある、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の主人公 "僕" のセリフでした。

彼なら、確かにそういうセリフ言うなあ、と即座に納得してしまい、北川景子さんに対する
恋心にも似たワクワク感は何処かにいってしまいました。ブログに綴られている文章は、しっかりとした大人な感じが出ていてとても好感が持てるものでしたが、最初に期待していた詩人のようなギャップがなかったということですね。


同じテキストであっても、『誰が言ったか』でここまでイメージが変わるものなのかと、改めてビックリしました。

ネットでは一時期、2ちゃんねるを中心とした匿名性が強いBBSが流行り、意見から「人の属性」を取り除いた、純粋なコンテクストの文化が大事に扱われていた時期もありましたし、僕自身「純度の高い意見そのもの」は大切に扱いたいと考えていました。
ですので、今回の印象の違いについてはちょっとした驚きでした。

現在の主流である、TwitterやFacebookに代表するSNSでは、完全に ”人の属性” と ”意見” はワンセットで切り離すことはできません。とくにFacebookの「いいね!」などの反応は、言ってる内容よりも、誰が言ったかしか重視されていないようにも見えてきます。
となると、『ソーシャル疲れ』とか、いつかきた道を歩むのでしょうか。

*****
そんな北川景子さんのブログで、こんな一節もありました。
今回オークランドから成田へ帰るフライトで同じ本を読み返してみたら
"人生"とか"性"のような普遍的なテーマについて心の底から真剣に悩んでいる
「僕」と「鼠」が、とても幼く、純真でまっすぐな青年に感じられて
微笑ましくなりました。
あの2人の会話を『幼く、微笑ましく』感じるとか、20代半ばで随分と大人な女性だなあ、と感心しました。僕も多分25歳くらいの頃に読んでいましたが、とてもそんな感想は抱けなかったですね。大人な女性はカッコイイです。PS. いろんな場面で昔より『傷つかなくなった』というのが、僕が大人になったかな、と感じる出来事ですね。良きにしろ悪しきにしろ。

0 件のコメント:

コメントを投稿