2012年3月12日月曜日

あの 3.11 から一年経ちました。

2012年3月11日

あの地震から、一年経った今日。
皇居に行ったら、以前と同じ、とまでは行かないまでも外国のお客さんも戻っていました。


ああ一年経ったのか、とちょっとだけほっとした。

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あの日、僕は有給休暇で自宅にいました。
その頃ちょうど学校に通い始める予定があり、その初授業を翌日に控え予習の時間を取るために休みを取得していました。

さてそろそろ、予習始めようかと思った14時46分。
それは少しずつ近づいて来た。

ああ、地震だ。第一にそう思った。

普段と違うのは、徐々に地震が強くなっていくこと。
それはあたかも怪物が近づいてくるようにどんどん大きくなってきた。
そしてそのまま大きな揺れの状態が長く続き、永遠に止まないのではないかとも思った。
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あの地震の午後。
スーパーマーケットは16時前に閉まり、コンビニには長蛇の列ができていた。
電話は使えないようだが、Twitterは全く問題なく流れている。

TVで釘付けになったのは、津波。初めて聞いた大津波警報だ。
幕張の液状化現象や、コンビナート火災、気仙沼の大火災。
TVとTwitterでとにかく情報を集めた。

あの日の夜。
何度も何度も余震がきていたあの夜。
もしかしたら、明日、日本には明日が来ないのではないか。
夜のうちに国が終わってしまわないように、そんな風に願って眠りについた。

朝は無事に来た。

しかし、そこには想像もできなかった津波被害の映像が広がっていた。
一番の被災地は、直後には映像が入ってこない地域だ。
あたりまえだけど、そんな悪夢が現実になった。

非現実的な現実の映像を散々観たあとで、幕張に液状化現象を見に行った。
被害状況を観察し写真に撮った。コンビナート火災は大分小さくなっていることが目視で確認できた。東北の被害が大きすぎて、その頃千葉の情報はTVではもう入って来ていなかった。
液状化になった道路を復旧すべく、早くも働いている人々が頼もしかった。

そして、帰宅してTVを付けたら震災の中心地は福島に移動していた・・・


復旧・復興を目指して、1年。

未だ多くの問題を抱えつつ、ひとつの区切りとしての1年が経った今日。
まだまだ全然道半ばである、とは分かっているが『明日はくるんだろうか?』そんな風に考えた夜から1年経ったというのが、ちょっと感慨深い。


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